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中央アフリカ共和国
Central African Republic
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<歴史>
フランスの植民地化が始まるまでは、各部族が首長を中心に居住していた。それらの部族がまとまって国家を形成するというようなことはなかった。
■1887年
フランスはベルギーとの協定でコンゴ植民地を建設、1910年よりフランス領赤道アフリカと改称しウバンギ・シャリは軍政下のチャドをその一部としたが、1916年にチャドを分離した。
■1958年
フランス第五共和国憲法国民投票に賛成、フランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称、1960年8月、フランスより独立 、ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任する。
■1965年12月
ダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。1970年10月、ジャン=ベデル・ボカサ大学開校。
1972年、ボカサ大統領が終身大統領を宣言する。1976年12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定される(中央アフリカ帝国)。
■1979年9月
ボカサ皇帝の外遊中にコリンバによるクーデター発生。フランスが介入し共和制復活。新憲法の制定、複数政党制の導入など行われた。 1993年の選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任した。
■中央アフリカ帝国
Empire Centrafricainは1976年12月4日に中央アフリカ共和国の大統領ジャン=ベデル・ボカサが国号の改称を宣言してから、1979年9月20日にクーデターにより帝政崩壊するまでの間に用いられた国号である。2012年現在、国号に「帝国」を冠した最後の国家でもある。
■フランス領赤道アフリカ
Afrique Equatoriale Francaise、AEFは、1910年から1959年まで中部アフリカに存在した、フランスの植民地。1910年にガボン植民地、中央コンゴ植民地(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ植民地(現中央アフリカ共和国)の3地域に連邦制を敷きフランス領赤道アフリカを設立。
1920年にはフランス領西アフリカに所属していたチャド植民地も加わり4地域体制となった。総督はブラザヴィルに常駐し、その代理が各地域の主都に赴き統治に当たった。
■地理
大部分が標高600m以上の台地で北部にはボンゴ山地が聳え立つ。中部から北部にはサバンナが広がり、南部には熱帯雨林が広がる。北部と南部には川(ウバンギ川、シャリ川)が流れており、植民地時代の名称の由来となっている。赤道直下にあるため熱帯気候を示す。
■ウバンギ川
ウバンギ川は、アフリカ中部にあるコンゴ川支流の河川である。ムボム川とウエレ川の合流点に始まり、西に約350 km流れた後南東に向きをかえ、バンギを通り南へさらに500km流れコンゴ川に合流する。
■シンコ川
Chinko)は、中央アフリカ共和国東部を流れる川で、コンゴ川水系の支流の一つである。スーダン国境付近に源を発し、コンゴ民主共和国との国境をなすムボム川(Mbomou River、ウバンギ川の支流)に合流する。
長さは411km。流域に約9万5000km2のシンコ川盆地を形成する。シンコ川一帯は熱帯雨林とサバンナからなる。大規模な開発の手が及んでいないために、ゾウ、アフリカスイギュウ、カバなどの大型野生生物が生息している。
■シンコ川盆地
Chinko River Basin)は、中央アフリカ共和国東部の盆地。スーダン、コンゴ民主共和国の国境にも近い。北のスーダン国境近くに源を発するシンコ川が南へと流れており、面積は約9万5000km2。
熱帯雨林とサバンナが広がっており、ゾウ、アフリカスイギュウ、カバなどの大型野生生物が生息する。盆地の一角、シンコ川中流西岸一帯には、4500km2の上シンコ狩猟区(Les Safaris du Haute Chinko)が設定されている。
■シャリ川
Chari River, Shari Riverとも)は、アフリカ中央部の中央アフリカ共和国などの国を流れる全長949kmの河川である。流域面積は548,747平方キロにおよび、チャド湖に流入する水の90%を提供している。主要な支流としてロゴーヌ川がある。
■ンガウィ山
Mont Ngaoui)は、中央アフリカ共和国とカメルーンとの国境にある標高1,410 mの山である。前者の最高峰である。
■熱帯雨林
年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される植生、またはその地域のことである。熱帯降雨林とも呼ばれる。植物生態学では熱帯多雨林(が正しい名称である。
ジャングル(英: jungle)、セルバとも呼ばれる。熱帯雨林が形成される条件として年間2,000mm以上の降水量があること、熱帯にあって年間を通して温暖であることがあげられるが、実際にはそれ以外にも様々な条件が組み合わさって形成されている。
■サバナ
(Savannaとは乾季と雨季のある熱帯に分布する、疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯である。 アフリカではバオバブ樹などが見られる。
熱帯草原を一般的にサバナと呼んでいるが、これはスーダン先住民が使用した呼称に由来し、地域によりリャノ(オリノコ川流域)、カンポ(ブラジル高原)、グランチャコ(パラグアイ)などの名称もある。
■ハルマッタン
(Harmattan)は、西アフリカで吹く貿易風である。熱風ではないが、きわめて乾燥しており湿気を奪う。また大量の0.5 - 10マイクロメートルのきわめて細かい砂塵を含んでおり、その砂塵は遠く北アメリカ大陸まで届く。
■サンゴ語
サンゴ語とは植民地時代に中央アフリカを支配していたフランスと現地の言葉のンバンディ語が混淆して形成された、中央アフリカ共和国の国語(事実上の共通語)である。
他にチャドやコンゴ民主共和国でも話される。1960年代の中央アフリカ共和国の首都であるバンギで醸成された。サンゴ語には160〜500万人の話者がいるが、第一言語としての母語話者は40万人程度と非常に差がある言語である。
■経済
農業など第一次産業が主。資源はダイヤモンドやウラン、金などを産出し主要輸出品となっている。しかし、資源が多いにもかかわらず人口の9割は一日2ドル以下で生活している状況である。内陸国であるため、輸送のコスト高という経済的不利に加え、度重なる政情不安の影響で、同国経済は大きな打撃を蒙り、経済の低迷が続いている。
■国民
住民は、アダマワ・ウバンギ系の言語を話す民族が中心である。主な民族は、バヤ族、バンダ族、サラ族、バカ族などである。
■アザンデ族
アザンデ族 (Azande) またはザンデ (Zande) 族はアフリカ大陸の現在の南スーダン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国にかけて分布するスーダン系民族、ナイル系民族、バントゥー系諸族の混血民族の総称[要出典]。約75万人[要出典]が該当。それぞれが独立した小王国を形成していたが17世紀末にできたクラン(アボンガラ)によって統合された。
■バカ・ピグミー
カメルーン南東部の熱帯雨林、コンゴ北部、ガボン北部、中央アフリカ共和国南東部に住むピグミーの民族グループである。トワ・ピグミーの下位グループであるとしばしば誤解されるが、両者の間に密接な関係はない。
同様にカメルーンの2から9の認められたピグミーの集団に誤用される。平均身長は1.5m。バカ族の正確な人口は決定し難く、5,000人から28,000人と推定されている。
■言語
公用語がフランス語である。日常生活では、サンゴ語というアダマワ・ウバンギ系の言語が事実上の共通語となっている。
■ザンデ語
ザンデ語(Zande)は、アダマワ・ウバンギ語派に属する言語である。話者はアザンデ族の人々であり、主にコンゴ民主共和国北東部、および南スーダン南西部に居住する。
中央アフリカ共和国東部の一部地域にも居住する。話者人口は全世界で1,142,000人であり、うち730,000人がコンゴ民主共和国に、約350,000人がスーダン南部に、62,000人が中央アフリカ共和国のムボム州ラファイ等に居住している。
■宗教
伝統的宗教が24%、プロテスタントが25%、ローマ・カトリックが25%、イスラム教が15%、その他が11%である。
■プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。
■カトリック教会
ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。
■イスラム教
正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
<世界遺産>
■ マノボ-グンダ・サン・フローリス国立公園*危機遺産
アフリカ中央部の17400km2を範囲とし、南のボンゴ高原 (Bongos)、北のアウク川 (Aouk) にはさまれており、氾濫原やサバンナなどの豊かな植生に育まれて、多くの動物が生息している。
■ダヴィド・ダッコ
(David Dacko, 1930年3月24日 - 2003年11月20日)は、中央アフリカの政治家。中央アフリカ共和国初代及び第3代大統領。ダッコは1951年、バンギの小学校の校長になり、教育者の道を歩んでいたが、1955年、親戚のバルテレミー・ボガンダに引き立てられ、黒アフリカ社会進歩運動 (MESAN) に入党し政界へと転身した。
独立後はグンバと対立し、1960年12月には MESAN の一党独裁を確立。しかし、ダッコには国内をまとめる力はなく、汚職が横行し経済は悪化の一途をたどった。
1965年、従兄弟にして国軍参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサのクーデターでダッコ政権は打倒されたが、ダッコは命を奪われることなくボカサの顧問として中央アフリカ国内にとどまっていた。
■ジャン=ベデル・ボカサ
(Jean-Bedel Bokassa, 1921年2月22日 - 1996年11月3日)は、中央アフリカ共和国の大統領(在任:1966年 - 1976年)。中央アフリカ帝国の皇帝ボカサ1世(在位:1977年 - 1979年)とも名乗った。フランスの植民地下で生まれた。黒アフリカ社会進歩運動 (MESAN) を組織し、独立運動を主導したバルテレミー・ボガンダは叔父であり、初代大統領ダヴィド・ダッコの従兄弟にあたる。
■アンジュ=フェリクス・パタセ
(Ange-Felix Patasse、1937年1月25日 - 2011年4月5日)は、中央アフリカ共和国の政治家。サラ人。1993年10月22日に中央アフリカの大統領に就任したが、2003年3月15日にフランソワ・ボジゼによるクーデターによってトーゴへと亡命した。
パタセは中央アフリカで史上初めて民主主義的選挙によって選出された大統領であった。パタセは1937年1月25日、フランス領ウバンギ・シャリ植民地のウハム・ペンデ州州都パウアで生まれた。フランスで農学を修めた後、1959年に帰国。1963年にはダヴィド・ダッコ大統領の下で農業検査官に就任した。
■バルテレミー・ボガンダ
(Barthelemy Boganda 1910年4月4日 - 1959年3月29日)は、中央アフリカ共和国の政治家。カトリックのミッションスクールを卒業し聖職者の道を歩んでいたが、1946年にフランスの国民議会に選出される。
1949年に黒アフリカ社会進歩運動(MESAN)を作り、同党の党頭となる。同時期結成されたアフリカ民主連合には加盟せず、独自路線を歩み続けた。現在の中央アフリカの国旗はボガンダによりデザインされており、50年以上使われている。「インディ・ジョーンズ 若き日の冒険」では幼い頃の彼が登場している。
■アンドレ・コリンバ
(Andre Kolingba、1935年8月12日 - 2010年2月7日) は、中央アフリカ共和国の軍人・政治家。1981年から1993年まで中央アフリカの大統領を務めた。
中央アフリカ民主連合(RDC)の指導者。コリンバは1935年に当時フランス領ウバンギ・シャリの首都であったバンギで生まれ、フランス軍に入隊し、1960年に中央アフリカが独立するとその軍に加わった。1979年にダヴィド・ダッコ大統領がボカサ皇帝を追放すると、中央アフリカ共和国軍参謀総長となった。
■エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード
Sir Edward Evan Evans-Pritchard, 1902年9月21日 - 1973年9月11日)はイギリスの社会人類学者。オックスフォード大学の社会人類学教室で1946年から1970年まで教授職を務めた。
機能から意味へ、科学主義から人文主義への転換を提唱し、大きな影響を与えたイギリス社会人類学の中心人物のひとり。 呪術(妖術)や宗教、結婚制度などを研究した。
■フランソワ・ボジゼ
1946年10月14日 - は、中央アフリカ共和国の大統領。2003年、アンジュ=フェリクス・パタセ大統領に対してクーデターを起こし、暫定政府に移行した。その後、2005年に行われた大統領選挙で当選した。3月の第1回投票では最多票を得たものの過半数を獲得できなかったため、5月に第2回投票が行われて当選を果たしている。 |
中央アフリカ Central African
アフリカ中央部にある国家。北東にスーダン、東に南スーダン、南にコンゴ民主共和国、南西にコンゴ共和国、西にカメルーン、北にチャドと国境を接する内陸国である。首都はバンギ。大部分が標高600m以上の台地で北部にはボンゴ山地が聳え立つ。中部から北部にはサバンナが広がり、南部には熱帯雨林が広がる。
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■バンギ
バンギ(Bangui)は、中央アフリカ共和国の首都である。推計人口56万人(1994年)。1889年にフランスが築いた前哨基地に由来する。コンゴ川の支流であるウバンギ川河畔に位置する。バンギよりも上流は急流のため、大型商船の通行ができない。そのため、重要な港町でもある。ウバンギ川は、中央アフリカとコンゴ民主共和国(DRC)との境界となっている。コンゴ民主共和国のゾンゴは対岸。
■バンギ・ムポコ国際空港
バンギ・M・ポコ国際空港(Bangui M Poko International Airport)とは、中央アフリカ共和国の首都、バンギにある国際空港。
■ラファイ空港
Rafai Airportとは、中央アフリカ共和国・ムボム州の町、ラファイ近郊にある空港。滑走路は赤土の未舗装である。
外務省:中央アフリカ共和国
在カメルーン日本国大使館兼轄
中央アフリカ共和国名誉総領事館
■バンガスー
(Bangassou)は、中央アフリカ共和国の都市。標高457m、人口31,553人(2003年)。コンゴ民主共和国との国境をなすムボモウ川の北岸に位置し、ムボモウ県の県都である。バンガスーは野生動物や市場で知られており、またムボモウ川南岸のコンゴ民主共和国とはフェリーによって結ばれている。
■バンバリ
(Bambari)は、中央アフリカ共和国の都市。人口41,356人(2003年)。中央アフリカ共和国のほぼ中央、ワカ川のほとりに位置し、ワカ県の県都である。バンバリは周辺の交易の中心であり、バンバリ空港やカトリックのバンバリ教区が置かれている。バンバリ近郊において大規模な鉄鉱石の鉱脈が発見されているが、海から1500kmも離れているため輸送コストの問題があり、また鉄道などのインフラの未整備により開発は行われていない。
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■ラファイ
(Rafai)は中央アフリカ共和国・ムボム州の町。ムボム川北岸に存在する。西側で東北から流れ込むチンコ川とムボム川の合流点がある。北緯4度59分、東経23度55分、標高525m。人口は約14,000人。
■バンバリ
(Bambari)は、中央アフリカ共和国の都市。人口41,356人(2003年)。中央アフリカ共和国のほぼ中央、ワカ川のほとりに位置し、ワカ県の県都である。バンバリは周辺の交易の中心であり、バンバリ空港やカトリックのバンバリ教区が置かれている。
■ベルベラティ
(Berberati)は中央アフリカ共和国の西部、カメルーン国境に程近いところに位置する都市。マンベレ・カデイ州の州都で人口は59,414人(2003年)である。同国では首都のバンギについで2番目に人口が多い。
■ブワル
(Bouar)は、中央アフリカ共和国の都市。人口96,595人(2003年)。中央アフリカ西部に位置する市場町で、ナナ・メンベレ州の州都である。標高1,046 mの高原上にあり、首都バンギとカメルーンとを結ぶ主要道路上にある。バンギからは437km西に、カメルーン国境からは210km東に位置している。
■ノラ
(Nola)は、中央アフリカ共和国の都市。国土の西部に位置し、サンガ・ムバエレ州の州都である。人口29181人(2003年)。標高442m。マンベレ川とカディ川の合流地点に位置し、ここから下流はサンガ川と呼ばれる。
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■バミンギ・バンゴラン州
(Bamingui-Bangoran)は、中央アフリカ共和国の州。国土の北部に位置し、北をチャドと接する。面積58,200km2、人口38,437人(2003年)。人口密度は0.66人/km2であり、中央アフリカで最も低い。州都はンデレである。
■バス・コト州
(Basse-Kotto)は、中央アフリカ共和国の州。国土の中南部に位置し、南はコンゴ民主共和国と接する。州都はモバイェ。
■ウハム州
(Ouham)は、中央アフリカ共和国の州。国土の北部に位置し、北をチャドと接する。州都はボサンゴア。
■ウハム・ペンデ州
(Ouham-Pende)は、中央アフリカ共和国の州。州都はボゾム。国土の北西部に位置し、北をカメルーン及びチャドと接する。
■オンベラ・ムポコ州
(Ombella-M'Poko)は、中央アフリカ共和国の州。首都バンギ周辺の地域が州域である。(バンギはどの州にも属さない)。州都はバンギ近郊の都市ビンボ。南でコンゴ民主共和国と接する。
■ナナ・メンベレ州
(Nana-Mambere)は、中央アフリカ共和国の州。面積26,600km2、人口184,594人(2003年)。国土の西部に位置し、西をカメルーンと接する。州都はブアル。1911年から1916年まではドイツ領カメルーンの一部だった。
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■バカガ州
(Vakaga)は、中央アフリカ共和国の州。面積46,500km2、人口37,595人(2003年)。中央アフリカで最も人口の少ない州である。国土の北東端に位置し、北をチャドと、東をスーダンと接する。人口密度は1人/km2と非常に少ないが、これは19世紀にこの地域の住民の大半がスーダンからの奴隷商人によって捕らえられたからである。
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■オート・コト州
Haute-Kotto)は、中央アフリカ共和国の州。州都はブリア。国土の東部に位置し、中央アフリカ共和国の17州のうちでもっとも大きな州である。
■ロバイエ州
(Lobaye)は、中央アフリカ共和国の州。州都はムバイキ。国土の南部に位置し、南をコンゴ民主共和国およびコンゴ共和国と接する。ムバイキのほかに、ボダやモンゴンバなどの都市がウバンギ川に沿ってある。住民の多くはコーヒー農家である。
■オー・ムボム州
(Haut-Mbomou)は、中央アフリカ共和国の州。国土の最東端に位置し、東をスーダンと、南をコンゴ民主共和国と接する。州都はオボ。
■国民集合クワ・ナ・クワ
National Convergence "Kwa Na Kwaは、中央アフリカ共和国の政党。クワ・ナ・クワはサンゴ語(中央アフリカの国語)で「働く、ただ働く」という意味。2005年の総選挙では、フランソワ・ボジゼ候補を支持し、第一回投票では得票率43.0パーセント、第二回投票では64.6パーセントをそれぞれ獲得した。国民集合クワ・ナ・クワは、国民議会総選挙で42議席を獲得した。
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■中央アフリカ人民解放運動
Movement for the Liberation of the Central African People、略称:MLPCは、中央アフリカ共和国の政党。1979年アンジュ・フェリクス・パタセ元首相を中心に反政府運動としてパリで結成。ダヴィド・ダッコ大統領の辞任と「国民統一臨時政権」の樹立を主張した
■中央アフリカ民主連合
Central African Democratic Rallyは、中央アフリカ共和国の政党。2005年大統領選挙では、3月13日の第一回投票でアンドレ・コリンバを擁立し16.36パーセントを得票し、3位であった。]2005年国民議会選挙では、8議席を獲得した。
■社会民主党
Social Democratic Party)は、中央アフリカ共和国の政党。2005年総選挙では、国民議会(105議席)では4議席を獲得した。
■進歩愛国戦線
Patriotic Front for Progress)は、中央アフリカ共和国の政党。アンジュ=フェリクス・パタセ大統領時代の強力な野党であった。2002年野党連合から離脱している。
■中央アフリカ共和国の国旗
中央アフリカ共和国の国旗は、1958年12月1日に制定された。フランスとアフリカの融合を理想と考えたバルテレミー・ボガンダ(Barthelemy Boganda)によりデザインされた。フランスの国旗の三色である赤・白・青と、汎アフリカ色の赤・黄・緑を合わせた合計5色が使用されている。赤は独立を勝ち取り国を守る国民の血、青は空と自由、白は平和と尊厳、緑は希望と誠実、黄は忍耐を象徴している。
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■国名
正式名称はフランス語で Republique centrafricaine (レピュブリック・サントラフリケーヌ)。 通称 Centrafrique (サントラフリック)。
1.面積:623,000平方キロメートル(日本の約1.7倍)
2.人口:440万人(2008年 世銀)
3.首都:バンギ
4.民族:バンダ族、バヤ族、サラ族、ヤコマ族、サンゴ族、バカ族、ピグミー族他。
5.言語:サンゴ語(公用語、国語)、フランス語(公用語)
6.宗教:カトリック(約25%)、プロテスタント(約25%)、伝統的宗教(約35%)、イスラム教(約1%)
1960年8月 独立、ダッコ大統領選出
1966年1月 クーデターによりボカサ参謀総長(中佐)大統領就任
1976年12月 帝制宣言。ボカサ大統領、皇帝となる。
1979年9月 クーデター発生。共和制復活(ダッコ大統領再就任)
1981年9月 クーデターによりコリンバ参謀総長が国家再建軍事委員会議長に就任。
1986年11月 国民投票により新憲法採択。コリンバ大統領選出。
1987年7月 国民議会選挙
1991年7月 憲法改正により複数政党制成文化、政党法成立。
1992年10月 大統領・国民議会選挙実施後無効宣言。
1993年8月 大統領・国民議会選挙(再選挙)
1993年10月 パタセ新大統領就任
1996年4月 給与遅配に反対する国軍の一部兵士による騒擾事件
1996年5月 武器返還に対し国軍の一部兵士による武力抗議行動
1996年11月 大統領辞任等を要求する国軍の一部兵士による実力行動
1997年6月 アフリカ仲介軍と旧反乱兵士の間に戦闘勃発
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1998年4月 国連PKO(MINURCA)派遣
1998年11-12月 国民議会選挙
1999年9月 大統領選挙、パタセ大統領再選
2000年2月 MINURCA撤退、国連平和構築事務所(BONUCA)設立
2001年5月 一部国軍兵士によるクーデター未遂事件
2001年11月 ボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突事件
2002年10月 ボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突事件
2003年3月 ボジゼ元参謀長によるクーデターが発生。自ら「大統領」と宣言し、憲法を停止。「国家暫定評議会」を設立。
2004年12月 新憲法を国民投票で採択
2005年3-5月 大統領選挙、国民議会選挙を実施
2005年6月 ボジゼ大統領就任、エリー・ドテ内閣組閣
2011年1月 大統領選挙、ボジゼ大統領再任
■主要産業:農業(綿花、コーヒー、タバコ)林業(木材)鉱工業(ダイヤモンド、金、食品加工、木材加工)
■主要貿易品(1)輸出 木材、ダイヤモンド(2009年 EIU)(2)輸入 燃料、公共投資計画(2009年 EIU)
■CFAフラン
仏 Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
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